ワンネスを学んでいると、来るべきタイミングで、この世で常識的な範囲とされているような感覚や"ものさし"のようなもので限定することを止めて、その枠を超えていくような・いかねばならないような瞬間がたびたびやって来ます。
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「ずっと、ずーーーっと」のような長い年月を示唆するような言葉があります。
この言葉の真の意味を理解すると、肉体が存在してみえる この世の限りある生命/寿命の中での話ではなくなります。
その世界を超えた真の私達が属す魂レベルの話であって、もう ほ・ん・と・う・に "永遠" であって、その終わりがないこと ---- ということになります。
こうしたことを言葉やアタマでの理解でなく、感覚・体感的にわかってくると、世界の見え方が変わってきます。
この世で当たり前だった"ものさし"の尺度の制限・限界を無くして、より自由になっていくのです。
一なる世界へ帰還する過程で、私達はこれらを 大抵は段階的に体験していくことになります。
大抵、段階的に..と書いたのは、そうでないと、かたや制限のある肉体が存在していると思っている自分もいるので、そのギャップに葛藤が生じるからです。
私達の学びの教師である聖なる存在は、もちろん全てを見通しているので、その人が受け入れられる・乗り越えられるキャパシティーを理解してくれています。
当の本人は、それでも過程の一つ一つがレッスンになっていくので、そうした事柄を超えていくのは 時に簡単ではない場合もあるかもしれません。
でも、そうした時にも、先日ご紹介した小道の先の祭壇(決断の主体)で、超えていけるように=愛=真実を選んで、"ものさし"の尺度の制限から より自由になれるように、手放すべきものは手放し、導きを仰いでいくのです *.+゜
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シエラ産のセレスチャルスカイブルーと、同産地のピーチピンク。
(ハートチャクラに呼応するピンクが、知覚を司るブルーとシュワシュワの浄化作用と共に、肉体のある身でアレコレ思い巡らしていることを、手放したり愛を受け入れる/選択するという役割を担ってくれていたようです。)
そして、私自身も実践している 小道の先:祭壇(決断の主体)での瞑想時に、「ずっと」が本当に本当に( !! )「永遠」であることを、体感させてくれました *.+゜
小道の先の祭壇をイメージしたあの白いリースの花言葉が「永遠」であったシンクロにも、個人的には驚きでした(≧▽≦)
聖なる存在達が、いつも私達が理解できる手段やカタチでサポートしてくれることに感謝して。。。☆
- le voyage de retour