この世的因果応報と赦しの関係

2021年4月26日月曜日

ONENESS


因果応報とは、行いに対し 報いを受けることです。
良いことをすれば、良い報いを受けられるし、悪いことをすれば めぐり巡ってとばっちりを受ける ---- というようなことです。
 
これ自体は、この地球生活では確かにそのように作用して見えると思います。
 
しかしながら、 因果応報の考え方ではワンネスに還ることはできません。

何故かと言えば、悪や罪の存在を認めている/リアルにしている からです。


あくどいことをした人に対して ゆるしてあげようとする時、この世的には、自分は被害者で傷つけられた側、もしくは正しいことをしている(と思っている)側で、本当ならゆるし難い相手のことを 多大な寛容による免罪でもって ゆるしてあげるけれども、相手は悪を働いたので、相応な処罰を受けることになるに違いない or そうなるべきだ ---- と、往々にして考えられているかと思います。
ゆるしてあげられる自分は"善"だけれど、相手は"悪"に変わりはない、ということになります。

でも、真実の世界では、「相手は自分」---- です。

もし、自分が相手を罪ある存在であるとするなら、それは自分自身をも罪ある存在であるということになります。
相手に罪を見るなら、それは自分にも罪があることになるので、結果として自分の前に「罪がある(ように見える)」人が 再び現れることになります。
自分的には ゆるしてあげているつもりでも、それは真の赦しにはなっていないのです。

なので、相手を罪なき愛の存在であると見ない限り、永遠にこのサイクルは続くことになります。

これが、悲劇が繰り返される(ように見える)ロジックです。

この世は幻想で 真には起こってはいないので、相手にも 真には罪はなく愛の存在であると赦すことができた その時、自分自身をも赦された存在になるのです。


  *


もちろんこのことが、理論としては理解できたり、口で言うのは簡単でも、心から すぐさま受け入れられるかと言えば、そうではないと思います。
そもそも、それができていたら、二元性のこの世に生まれてくる必要もないですしね。。。^^;;
以前の活動の時からご存知の方は、私も何年にもわたって、実生活でレッスンを積み重ねてきている通りです。


自我/エゴは、あらゆる理由をつけて、罪や罰が存在することやその正当性を見せつけようとしているのが、二元性の世界です。

でも、一元性の愛に還りたければ、いつかは向き合っていくことになることを、それぞれに気づいていかれることと思います。
ワンネスへの意識改革は、ゆっくりとしたペースで行うのが得策なので、慌てなくても大丈夫です。


「ワンネスの要素を知る」シリーズ、過去の記事を再読頂いたり、この先もご参考頂けたらと思います。









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