「相手=自分」と罪の意識の投影

2021年5月5日水曜日

ONENESS


私達 各個々人の中には、自分に対して様々なネガティブな思いを、大なり小なり抱いているかと思います。

その一番のおおもとは、愛と一つであったところから、自分という個を持って一なる世界から分離し、一元性の愛(神)に背いたことや、それ故 罰せられるに違いないと思っている罪の意識なのですが、今や世界に6〜70億人という個が存在して見える中では、おおもとの記憶は薄れ、夢が深くなり過ぎて 夢が夢であることを忘れてしまっているような状態です。

自分をネガティブに思うあらゆる感情や信念、経験の総和としての罪悪感は、自分が完璧・完全でないことや、愛以外のものを存在させていることや、何かが欠如していること ---- など様々な形態で表れますが、それらの形態の根源は、一なる世界から分離してしまったが故に起こったものです。
そもそも分離しなければ、愛しかない世界なので、そこには罪悪感は存在し得ません。

でも、分離が可能であるという夢を見ている私達は、姿・形が変わってしまったどんな種類の罪悪感も 自分の中に持っていたくないと思っています。
自分の中に温存したり、見て見ぬフリをするには限界があり、自分が罪深き者だとは、誰しも思いたくないのです。

そこで出てくるのは、自我/エゴ的な解決手段です。

罪悪感を外側に投影すれば、自らが罪悪感を持たずにいられる —— と。

自分は完全でなく、傷ついたりして幸せでないのは、自分が問題なのでなく、外側の 他の誰か・何かのせいだ。私に罪はなく、悪いのは相手・外側の何かなのだ —— と。

このようにして、私達は投影します。

でも、本来自分の中にあったものを投影しても、そもそも真には他の誰か・何かというのは存在しないので、それは結局自分のもののままです。
前回の、あるのは1つだけ…というのを思い出して下さい。)

分離が可能であるという夢を信じてるので、自分以外の人や何かが存在してるように見えてますが、真の世界には分離はありえません。


だから私達は、他の誰かや何かについて非難する時、実は本当は 自分自身を責めていることになります。
別の言い方をすると、他人をどのように評価しているかが、自分をどう評価しているかになります。


私達が投影していることを認識してなければ、分離が可能で、他の誰か・何かは存在していて、罪や悪も存在してるという想念を強化させ続けることが可能です。

外側にいる他者を悪者にすれば、自分は罪なき者になれると思っているので、罪悪感から逃れるためには、自分には非はなく、少なくとも相手より善人で、悪いのは相手・外側の何かだと非難したり攻撃することを正当化するのを なかなか止めずにはいられない…というのが、この地球生活で起こっています。



でも、ワンネス的愛を選ぶ手段を取るなら、このロジックを使って形勢を逆転し、罪悪感そのものを取り消すことができます✧* → それは、一元性の愛に則って、投影している相手にも真には罪はなく、愛の存在であると見るならば、自我/エゴの要素は取り消されて、己も罪なく愛の存在となります。

罪悪を投影するのではなく、愛を延長するのです。


相手が愛なら、自分も愛。
「相手=自分」…です。








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