特別な愛の関係 ④

2021年6月12日土曜日

ONENESS



憎悪の関係は怒りや憎しみといった この世でもネガティブに聞こえるものなので 比較的わかりやすいですが、この「特別な愛の関係」のトリックに、私達の多くは気付かずにいる可能性があります。

何故なら、特別な愛は、この世で悪いとされる要素が隠れて認識しずらいからです。


私達は一なる世界・神から分離したと思っているので、神=愛への渇望や、欠乏感があります。

私達はその代替えを、この世界の中で必死に探して満たそうとします。
物欲でも、他に依存できるものでも、代替えになれば自我/エゴは手段を選びません。

その中で、この不完全に思える自分を満たしてくれる相手を探します。

例えば、私を愛で満たしてくれれば、私もあなたを愛します、という限定的な条件で成立するgive & takeの関係も同様です。
自分は◯◯なタイプだから、相手は△△のような人が望ましい。その代わり、相手の足りない部分を 自分が補ってあげよう。。。というようなことを、私達の多くは行なっていると思います。
そしてそれらは、一時的にも確かに上手く機能してみえます。

これらをしてはいけない、ということではありません。実際の生活では、補ったり協力し合っていくことと思います。

ただ、根本的な考え方の基盤においては、これでは一なる世界であるワンネスには帰還できません。

そして、こうしたバランスが崩れる時、彼らは上手くいかなくなり別れて、再び互いの不足・不完全さを満たせる相手を探す...というのを繰り返します。

そして、不完全さや欠乏感を満たしてくれる相手を見つけると、その人こそが 自分を幸せにしてくれる 他にはいない特別な人だと信じます。

※ 実際は、自分の想念がこの世に反映されるので、自らを不完全な者とすれば、不完全な相手が現れますし、相手の不完全性を見るなら、自らも不完全なままなのです。
代替えを探して満たすことに、真の幸せな結末は訪れません。---- 自我/エゴはその事は私達に教えてくれないのですが(*_*)


相手が稀有で素敵な人だと思うほど、特別に思いたい欲求に駆られます。

どうしても地球生活の常識が当たり前だと思う私達は、特別さは素晴らしいものだという認識を持っています。

しかしながら、【"特別な何か"の本当の意味】にてお伝えした通り、一なる世界、真の愛の世界には、他の何かと比べて区別されたり優劣の序列は存在し得ないので、それを行ってしまう特別性というのは 他と異なる個・分離が可能であることを強化する想念なのです。



  *


☟ここからのお話は、2つ前の記事のプロローグ以降から続いています☟


Xさんは、10数年以上に及ぶX君への想いは誰よりも甚大で"本物"だから、その正当性を信じていたはずです。
彼こそが自分を満たす ふさわしい存在だと。
そして、愛は決して攻撃することはありえないのに、攻撃することさえ、彼女にとっては正当だったはずです。

知り合って半年足らずの私の愛なんて、自分の足元にも及ぶわけがないのに、そんな人が "特別な"Z君と両思いだなんてゆるせない、相応しくないと信じていたことでしょう。
(実際に、いかに私が彼に見合わないかetc etcも、言われていました。)

彼女は愛を、期間や量的なもので計っています。
他人が愛を享受したら、自分には回ってこなくなるから、奪わなくてはならないと思っています。

大義としての愛は、分量で推し量るものではありません。

一なる世界では、愛は質の問題です。




聖なる瞬間 ⑤ 前編 につづく...









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