相手=自分であることはお伝えしてきましたが、これより数回に分けて 人との関係性・リレーションシップについて綴っていきたいと思います。
体系だってご説明するのは、初めての情報かと思います。
ご興味ある方、どうぞお付き合い下さいね *.+゜
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私達の関係性の中には、大きく分けて 2つあります。
さらに、下記前者は2つに分かれます。
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"特別な何か"の本当の意味 ① ←今回分
✦ 神聖な関係 ⑥
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①~⑦の順に進めていくつもりで構想を練っています。
それにあたり、地球生活の多くの場合に認識されている「特別さ・特別性」と、ワンネスにおけるそれの意味の違いを、まず お伝えしましょう。
私も、日常生活の中で、確かに「特別」という言葉を使うことはありますが、ワンネスを学ぶようになってからは、「特別」の本当の意味も理解しているつもりです。
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私達の地球生活のなかでの特別・スペシャルな何かというのは、他の何かよりも、優位性または劣性の度合いが上・高い という位置付けです。
特別な誰か・人
特別なクリスタル・もの
特別な縁や状況……etc etc
「特別な何か」というのは、時に私達には とても素晴らしく良いもののように映り・聞こえます。
それが、この世的にポジティブな印象・認識であっても、実はこれは自我/エゴの狡猾な罠なのです。
何故なら、一なる世界はただ一つ(の愛、全て)であって、区別されるものや優位の序列は存在しないからです。
どちらか一方が◇◇でよりプラスであるとか、そして別のもう一方が△△でよりマイナスである ---- ということは存在し得ないのです。
こうして考えれば、言われてみれば 確かにそうだよナと気づくことができますが、それまで私達は「特別性」を文字通り特別なものとして扱ってきた/きているはずです。
特別性を重んじている人・特別な何かは存在していると信じたい人にとっては、このアイデアは受け入れがたいかもしれません。
でも、落ち着いてよーーく考えてみて下さい。
「他の何かと異なる特別な何か」があるのだとすれば、それは分離が存在することを信じていることになるのに気づきませんか?
特別性は、一なる愛・一なる世界・一なるその全て:神 から 分離が可能であるという隠れ蓑のようなものなのです。
(私も初めて気づいた時は、エゴのこの巧妙なやり口に衝撃を受けました...∑(゚Д゚lll) )
シェイクスピアの「ヴェニスの商人」の中には、「己の目的のために悪魔が聖書を引用することもある」などというセリフがあります。
自我/エゴは、愛や特別性という 私達が崇高なはずだと信じている材料を使って、巧みに真実の愛に気づかないようにしているのです。
ちなみに余談ですが、シェイクスピアはこの世が幻想であることを知っていたと言われてます。
- le voyage de retour