写真は、いつかのクリスマスシーズンに フランスからやって来た、古いシャンデリアのパーツ。
優しく光を宿してくれる古いものの趣が好きです✧*
それでいて、普遍に光を宿してくれる姿は、この世に学びにやって来ている私達のスピリットを思い起こさせてくれる気がして、シャンデリアのパーツは昔から好きなものの一つ(*´꒳`*)
普段は、おうちのツリーブランチに飾っています。
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リレーションシップの題材。。。前回の最終話で、
「で、結局、Z君とは復縁したりは、無かったんだ?」
--- などなど、もう少しドラマチックな展開を期待していた皆さんがいたら...申し訳ないです(≧▽≦;;
この時点では、そういった展開は ありませんでした。
私は この後 間もなく、人生最大のレッスンが待ち受けているとは つゆ知らず、そういったシナリオがすでに準備されていたこともあり、彼と一緒にいてはならないようになっていました。
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私達は二元性の世界に慣れているので、物語の終わりに 劇的なハッピーエンドが待っていると、心の中で安心している自分を感じることが多いと思います。
正義が悪に勝つとか、
苦難な状況下で、やっと結ばれるとか、、、。
もちろん、ハッピーエンドという結末を選んではいけないということではありません。
ただ、そうなった背景に、例えば罪や悪が存在していることをリアルにして、一方の無実が証明されて 他方の非を認めさせたり制裁を下したり、他の誰かと優劣や稀有さを助長する "特別なこの人" とじゃなきゃ自分は幸せになれない/なれなかった...というような想いがあって "ハッピーエンド" になったのならば、それはこの世的には成功・大躍進したストーリーになることができても、霊的真実では 実はそれとは逆=後退したことになるのですよね(>_<)
愛しかない世界に それ以外のものはありませんし、全てが平等で違いの無い愛の中に "特別な愛" はないからです。
※参考:
● 例外なき愛の性質
(もちろん あらゆる状況下でも、聖なる存在は、それらを愛への帰還の学びとして私達を導くことが可能なので、私達は誤ったのならば 選び直していけば◎です。地球生活はその繰り返しです。)
そしてまた、自分や相手の肉体の有無に関係なく、真の私達は 最初からハッピーエンド である/であった(=愛の源から一度も分離していなかった、故に傷ついたりすることなどありえなかった)という想念がこの世に反映された時、何らかのカタチになって 現れるのではないかと。
それが神聖なハッピーエンドなのだと思います *.+゜
私にとっては 当時 ターニングポイント後にやって来た私とZ君の聖なる瞬間の数々は、いつも必ず、私が自我/エゴ的なものを解放した時・していた時に起きたことを体験し学べたことは、それだけでも大きな財産となりました。
Z君に関して言えば、今生でも来世でも、状況がゆるされるのならば、いつでも魂の再会が楽しみな人であることに変わりはありません(^_−)✧
その時が来たら、私達は次なる段階で 学びを重ねていけるのではないかと思っています *.+゜
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それでもこの世的ハッピーエンドを欲する欲求や、特別な存在にしたい欲求が強まる相手と出逢うということがあることも、知っているつもりです。
心の葛藤なしにそれらを手放すことができたら、最初からこの世にはやってきていないでしょう。
自我/エゴではなく、愛の思考に心を変えていくのは、人それぞれのペースがあるかと思いますので、そうした思い当たることがあっても、焦らなくても大丈夫です(*´꒳`*)b
そのうち、自我/エゴにしがみついていることのほうがツライことに 心から納得できる時がくるはずです。
次回の記事では、私が日頃 役に立てているアファメーションをご紹介しようかな、と思います。
自分にも、相手にも使えるものです *.+゜
お楽しみに✧*